2008年08月05日

080212:お婆さんの戦争体験記①

【このブログは、清山会医療福祉グループの役職者向けメーリングリストから、その一部を配信するものです。】

お疲れさまです。山崎です。清山会MLから送信します。(説教×抹香モード☆☆☆)■戦争中の苦労を、お年寄りはあまり話したがりません。先日、「お婆さんの戦争体験記です」と、患者さんのご家族が手作りの冊子を持参してくれました。菊地部長に打ち出してもらいましたので、数回に分けてご紹介します。ご家族にも了解をいただいています。読みにくい漢字には( )にふり仮名をしました。

【ある満鉄社員の戦争体験記】
私たちの住んでいる仙台市近郊の利府町の団地に渡邉正吾、恒子さんという夫婦が住んでおります。
渡辺さんは、角田市尾山の出身で、私の生家とはいくらも離れていませんので、同じ団地に住むようになってから、親戚同然の付き合いをさせていただいております。

ご主人の正吾さんは大正五年生まれ、奥さんの恒子さんは大正九年生まれです。
昭和十一年渡邉さんは、このままでは食っていけないと百姓生活に見切りをつけて渡満しました。(私どもも、昭和八年五月に一家を挙げて渡満したのでした。)


これから先は渡邉恒子さんの手記です。

夫の渡邉正吾は満鉄の鉄道学校を出て佳木斯(ジャムス)の駅に勤務することになり、官舎をもらって佳木斯(ジャムス)の街に住むことになりました。
佳木斯(ジャムス)のあたりは、冬は大変な寒さなので、平屋ではありましたが煉瓦造りの建物で、ペチカやオンドルの暖房設備が完備していました。
佳木斯(ジャムス)の周辺には、その後おいおいと開拓団や義勇軍が入って農業を営むようになった。終戦ごろは街に日本人の婦人や小学生の姿が多くなっていたのです。

昭和二十年八月九日にソ連が日本に宣戦布告をして、東は虎頭(ことう)、密山(みつさん)から、牡丹江(ぼたんこう)、佳木斯(ジャムス)、ハルピン、チチハル、ホロンバイルと全満に侵攻してきたのでした。
この八月九日には、在留邦人は、前々から防空演習が行われることになっていて、防空頭巾と貴重品袋だけを持って待機していたのです。
朝。ズシーン、ズシーン、という地響きと、ドカーン、ドカーンという爆弾の炸裂する音、それに、ダダダダダーという小銃と機関銃の音で、邦人は何だ、何だと戸外へ飛び出し、初めてソ連と叛乱した満人の攻撃を知ったのでした。
私は二人の子供をつれて外に出て、皆の逃げるほうに走り、振り返ってみると我が家ばかりか官舎のあたりはすっかり火の海となっていたのです。

同じカテゴリー(清山会メーリングリスト)の記事
 平成20年6月清山会MVP推薦文 (2009-08-25 09:20)
 平成20年6月清山会MVP推薦文 (2009-08-18 09:04)
 平成20年5月清山会MVP推薦文 (2009-08-07 09:45)
 平成20年5月清山会MVP推薦文 (2009-07-28 11:12)
 平成20年4月清山会MVP推薦文 (2009-07-21 10:11)
 平成20年4月清山会MVP推薦文 (2009-07-14 10:39)

Posted by 清山会スタッフ at 18:12│Comments(0)清山会メーリングリスト
上の画像に書かれている文字を入力して下さい
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。

削除
080212:お婆さんの戦争体験記①
    コメント(0)