2008年08月19日

080219:お婆さんの戦争体験記③

【このブログは、清山会医療福祉グループの役職者向けメーリングリストから、その一部を配信するものです。】

お疲れさまです。山崎です。清山会MLから送信します。(説教×抹香モード☆☆☆)
家を出て三日目の夜になり、銃声は途絶えましたが、皆は座り込んで喋る人もおりません。子供達もすっかり怯えていて、声も出さずに私にしがみついている。

私のところに兵隊が着て、長男の怪我の様子を尋ねながら、自分の着ていた外套を脱ぎそれを差し出して、「子供に強いて寝かせろ」と云ってくれた。その兵隊さんも二人の子供がいるのだと心配そうだった。
銃声が途絶えると、非常袋から乾パンを出して食べている人もいた。私は飯盒の蓋に片栗粉をいれローソクの火で葛湯(くずゆ)を作って二人の子供に食べさせる。
山の雑木にカラスウリが蔦になって絡まっていたので、みんなで一生懸命にそれを堀り、兵隊の鉄兜に入れて石で潰すと片栗粉ができた。子供達もその苦いのを我慢して少しずつ食べている。

そして十五日。兵隊が泣きながら「戦争は終わった。日本は負けてしまった。皆、歯を食いしばって頑張のに・・・・・」と言う。「これから我々は山を下りる。皆も山を下りると日本人小学校がある筈だから、ひとまず其処に行くよう。・・・」と
云って両手を上げて山を下りていく兵隊の後姿に、言葉に表せない無念さを感じながら、私たちも山を下り、吉林(きつりん)の朝日小学校についたのである。だれもが、「水」、「水」と云って校舎の前の水道に走ったが水は出なかった。

怪我をしている長男は、ぐったり転がっていたが、銃声に悩まされることだけは無くなったのである。
長男が何か云っている様子なので、顔を近づけると、かすかな声で、「お家に帰りたい。お水がほしい。」と云っている。私は「ひとりで帰れ」と怒鳴ってしまったが、それが長男の最後の言葉で、そのまま息絶えてしまったのであった。
何故、どうして、長男の最後の言葉に「頑張ろうね」と優しく云ってやれなかったのだろうかと悔やまれてならない。その晩は、冷たくなった長男と、次男と私の三人で寝ることにしたのである。

朝になり、長男を埋めてやる場所を探しに出た。そして校舎の隅を選び、狼に掘られないように深く掘り、長男をそっと埋めて、名も知らぬ野草を一株引き抜いて、それを植えて墓印としたのであった。
そして「お兄ちゃん、さよなら・・・」と云い、気が付くと一人のソ連兵がヂ―と見ている。慌てて立ち去ろうとしたが、その兵隊は私に近づき、胸に手を当て十字を切り、私の肩を優しくたたいて、土饅頭を作って長男の墓に供えてくれて、一言の会話もないまま立ち去ったのであった。
その夜は雨だった。朝になって雨が止んだとき、昨日のことを思って、ソ連兵が土饅頭を供えてくれたのは、あれは夢だったのかと思って、長男を埋めた場所に行ってみた。夢ではなかった。昨夜の雨で土饅頭はあらかたながされていたが、確かに供え
てくれた跡があったのである。

あれから十五年、私は今でも長男を怒鳴ってしまったことを詫びる毎日なのである。
朝、目を覚ますと同時に、山の中を「走れ」、「走れ」と叱咤しながらさ迷ったことを昨日のように鮮明に思い出して涙を抑えきれないのである

戦争なんて誰がやらせたのだ。頑是(がんぜ)もない子供たちまで犠牲にして・・・・。

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