2006年12月27日

「うつ」にも意味がある

「うつ」にも意味がある --諦めたとき、楽になることも
朝日新聞2003年1月18日 こころ元気ですか高齢者編11より

・・・心配した子供たちが、口をそろえてシノさんをボケ扱いし姶めたのだ。それは、シノさんの生きる気力をなえさせるには十分な仕打ちだった。‥‥

 シノさん(78)は山間の貧乏な家に生まれた。弟妹の子守りのために小学校も満足に通っていない。父親はいつも酔っている人で、母親の単調な愚痴を聞きながら育った。
12歳で奉公にだされ、18歳のとき親が決めた農家に嫁ぎ、厳しい舅と姑にも仕えた。5歳年上の夫は小心な人で、普段無口な分、酔うと手がつけられなかった。

 愛情とは無縁の生活に、幼い頃の母親の不運を重ね合わせながら、シノさんは黙って耐えた。50代で夫の両親をみとり、3人の子供達が独立して街に出ていくと、あとに老夫婦の気詰まりな生活だけが残った。

 その頃から、シノさんはある宗教にのめりこんでいく。信じれば自分がいつか報われるような気がした。仲間との語らいにも慰められた。だが、その攻徳を広めようとすればするほど、夫にも子供達にも疎まれ、孤立していった。

 67歳のとき、夫が脳梗塞であっけなく逝った。葬式がすむと、残された土地をめぐって子供達に争いが起きた。その争いが、思わぬ方向に転がり始める。相続した土地を宗教に寄付してしまうのではないかと心配した子供たちが、口をそろえてシノさんをボケ扱いし始めたのだ。それは、シノさんの生きる気力をなえさせるには十分な仕打ちだった。

 「うつ」で判断力の鈍ったシノさんは相続放棄の書類、あらがうことなく判子を押してしまった。そのまま長男に引き取られ、5年前から特別養護老人ホームで暮らしている。

 ホームの中のシノさんは、しかし以外に元気だ。親にも夫にも子供にも辛抱を強いられた彼女にとって、家庭という幻想をもう追わずにすむ終の棲家は、結構心地が良い。何よりも、苦労話を自慢話にしてしまう人生の達人たちに囲まれながら、気兼ねなく愚痴をこぼしていると、父母も夫の両親も、夫も子供も、ふと許せるような気持ちになる。そんなとき、辛抱の多かった自分の人生とも、なんとなく和解できたような気になるのだ。

 元どおりではない別の生き方を選ぶために、大切にしてきた何かを諦めなくてはならないときがある。そしてその何かを諦めたとき、実は前より自分が楽になっていることに気づくこともある。
「うつ」という体験に意味があるとしたら、その気づきを少しだけ促してくれることかも知れない。


同じカテゴリー(こころ元気ですか)の記事
 現代を生きるコツ (2006-12-27 01:59)
 「暴力に耐える娘が不憫」 (2006-12-27 01:57)
 「一割前後がうつ状態?」 (2006-12-27 01:53)
 「悲劇繰り返さぬために」 (2006-12-27 01:51)
 「妄想が起きるとき」 (2006-12-27 01:48)
 「もの忘れ=痴呆?」 (2006-12-27 01:44)

Posted by 清山会スタッフ at 01:55│Comments(0)こころ元気ですか
上の画像に書かれている文字を入力して下さい
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。

削除
「うつ」にも意味がある
    コメント(0)